Toshusai Sharaku

東洲斎写楽・とうしゅうさいしゃらく(act.1794-95)

寛政6年(1794)彗星のごとく浮世絵界に登場した写楽は、わずか10ヶ月の期間に、140数点に及ぶ浮世絵を世に送り出し、忽然と姿を消しました。写楽の活動期間が短かいのは、役者の個性を、美醜を問わず描いた迫真の描写が、当時の人々に受け入れられなかったからとも言われています。
しかし、躍動感溢れる役者絵は現在の我々の目にも今なお新鮮です。20世紀初頭、ドイツの心理学者ユリウス・クルトによって写楽の作品が広く紹介されたことをきっかけに、写楽は海外でも高い評価を得ており、レンブラント、ルーベンスと並ぶ三大肖像画家の一人と評する人もいます。
写楽の正体についてはこれまで様々な説が挙げられてきましたが、現在では阿波の能役者・斎藤十郎兵衛であったという説が定着しています。しかし、その活動にはなお多くの不明点があり、写楽が「謎の浮世絵師」であることに変わりはありません。アダチ版画研究所では、このミステリアスな絵師が後世に残した作品全図を復刻しています。